お兄さん
私には弟がひとりいるのだが、小さいときからお兄さんが欲しくてたまらなかった。おやつをもらうときも、弟を横目で見ながら康泰、
「こいつさえいなければ、全部私のものになるのに」
とがっかりした。お兄さんだったら、
「ちょうだい」とねだったら、可愛い妹のために、気前よく自分の分をくれるのではないだろうか。喧嘩したときも弟は、すぐピーと泣いて母親に救いを求めたりして、どうも私は割に合わない立場にいるような気がしていたのである。
ところがお兄さんがいる人に聞くと、
「あんなもん、ちっともよくありませんよ」とボロクソにいう。話を聞くと彼女のところは、ふたりが大学生になっても、取っ組み合いの大喧嘩をしていた。それも血も見るほどの殴り合いなのである。最初は口喧嘩から始まるのだが、だんだんエスカレートしていって、我慢し切れなくなった彼女が、両手の指でお兄さんの顔面を力一杯ひっかく。伸ばしている爪のせいで、彼の顔面にはうっすらと幾筋も血が滲んだ。すると激怒したお兄さんが反撃に出て、これまた力一杯彼女の横面を張り倒し、そのあげく彼女の歯は折れ、口の中を切って双方流血の大騒ぎとなった。花瓶は割れるわ、椅子は宙を飛ぶわで、まさに何でもありという感じなのだ。騒ぎを聞きつけたお母さんは、自分のまわりを飛び交う物を器用によけながら、二人が取っ組み合っているそばで、
「たったふたりの兄妹なのに、お願いだから仲良くしておくれ」
とおいおい泣く始末。うちの場合は取っ組み合いの喧嘩などしたことがなく、してもつねったり頭をはたいたりくらいのものであった。彼女は。
「あれは兄妹喧嘩のうちでも、昭和史に残る名勝負でしたね」
と淡々と感慨深げにいっていたが、私はただひたすら驚き、兄がいなくてよかったと胸を撫で下ろしたのであった。