という当たり前のことに始まり

ハプニング

 辞書で調べてみると

 「思いがけない出来事」「突発的な事件」と出てくる。

 人間を長いことや康泰導遊<っていると誰でも人生の中で一度や二度のハプニングに遭遇することであろう。

 もちろんそれは「楽しい」ハプニングであってほしい。

 高額の宝くじに当たるなどはもはやハプニングとはいえない範疇かもしれないが、一度は体験してみたいものである。

 逆によくないハプニングにはできれば遭遇したくないものだ。

 僕は人生の中で三回ほど大きな交通事故に出くわしている、これなどもちろん「思いがけない出来事」「突発的な事件」にちがいない。できればこの先出会いたくはない。

 命にかかわるようなハプニングや、人生を狂わしかねないハプニングは謹んで遠慮申し上げるが、小さなハプニングは人生の康泰導遊ちょっとしたスパイスになる。


 先月のこと。

 僕は休日にちょっとお出かけをした、場所は上野の国立科学博物館、「大アマゾン展」という特別展示に心を惹かれ春のうららかな日差しにも背中を押されてふらふらと出かけて行った。

 博物館は楽しい、じっくり見学していると2時間や3時間はあっという間に過ぎてしまう、この日の僕も気が付けば閉館間際の5時dermes 投訴近くまで、常設展や別館の日本館など合計4つの展示館を心ゆくまで堪能した。

 さて、その帰途、僕は電車に乗ると1日の疲れからものの5分で舟を漕ぎ始める、そして、そのあと20分くらいであろうか電車では珍しく熟睡してしまった。

 目を覚ましたのは偶然だ、扉が閉まり電車が動き始めた。

 通勤電車などでみなさんも経験があると思うが、起きた瞬間乗客はとっさに今どこの駅にいるのかを判断する、窓からの景色、アナウンス、駅名表示など、そして場合によっては飛び起きてドアへとダッシュで駆け出しかろうじて乗り過ごしを未遂で済ませたりするわけだ。

 この時は一瞬自分がどの駅にいるのかが判断できなかった。
 わりと乗り慣れている路線だけにいつもなら経験上すぐに判断できるのだか、この日はなぜか違ったのである。

 (うん?何か違和感?)

 (妙に静かだなぁ・・・)

 僕は寝ぼけ眼をこすりながら車内を見回してみる

 (うん?誰もいないぞ?)

 電車はゆっくりとだが確かに走行している。

 僕は30秒ほどしてようやく事態を飲み込んだ。
 そして頭の中でギャルっぼく自分に問いかけてみた。

 (これ・・・回送電車じゃね?)

 そうなのだ!電車には僕以外誰も乗っていないのだ!

 (やばくね?)

 再びギャル風に心の中でつぶやく。

 電車というのは終点に着くと駅員さんや車掌さんが全ての車両を見て回り、寝込んでいる酔っ払いなどを起こして歩き、誰もいないことを確認してから車庫へと回送していく、皆さんも一度は見た光景であろう。

 それがどうやら何かの手違いで僕は見落とされてしまったらしい。

 ちょっとした「ハプニング」である。

 下手すればスポーツ新聞の社会面の片隅に載っちゃったりする・・程度のハプニングだ。

 昔、こんな事故・・いや「ハプニング」がワイドショーで報道された。

 それはどこかの遊園地で、係員の確認ミスから乗客を頂上付近に取り残したまま観覧車を停止させてしまったのだ。

 細部の記憶は曖昧だが、まだ携帯電話の普及する前の出来事だったと思う、乗客は一晩をゴンドラで過ごし、夜中もしくは翌朝に救助されたというニュースだった。

 僕の記憶が間違いでなければ取り残されたのは中学生の男女のグループ、命に別条はなく助けられたと記憶している。

 この時、不謹慎ながらいろいろなことを想像してしまった。

 (怖かったろうなぁ・・不安だったろうなぁ・・)

 という当たり前のことに始まり

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